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着物をGETしました。

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この間の撮影のとき、結局はなんか印半纏?みたいなのをTシャツの上に着て撮影しましたが。
正直なんだかよくわからなかったので、どうしようかと最初は結構考えてて、着物じゃないと駄目なんじゃないかとか、結局はいやもうなんでもいいやってことであんな感じになっちゃったわけですが、じいちゃんが着ていたという羽織を持ってきてもらったりしてたんですよね(じいちゃんは小柄だったので僕にはサイズが小さすぎた)。
その時の話がまだ残っていて、これから使う機会もあるかもしれないしってゆーか書類通ったら必要になるし、ちょっと着物欲しいな~と思っていたところに川口屋のパートさんの一人が亡くなった旦那さんの着物があったはずだから、と着物を一式僕にくれました。
僕は着物のことは良くわからないのでなんともいえませんが、どうも結構な代物のようです。
いや~本当にありがたいことです。
今日は胡蝶にご協力していただいてこれまた胡蝶家族のご好意でかなり大型のアジサイの鉢植えをお礼に届けてもらいました。
ありがとうございます。
そういえば、由美が気がついたんですが、着物の間にはさまっていた新聞紙。
なんか虫食い防止でいれてみたといってましたが、よくみたら僕の誕生日の新聞でした。
そういや下駄の鼻緒も蛇革(僕は巳年)だし
千両幟をはじめてからの一連の出来事に、なにか縁を感じずにはいられない日でした。
うーんはやくもらった着物をきてみたい。

こまいがうまい

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最近、「こまい」というのにちょっとはまっている。

こまい

コマイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

コマイ(氷下魚、学名:Eleginus gracilis)は、タラ目・タラ科に分類される魚の一種。カンカイ(寒海)とも呼ばれる。コマイはアイヌ語で「小さな音の出る魚」を意味し、カンカイはニヴフ語の呼称「カンカツ」から来ているといわれる。氷下魚は厳冬期に氷を割って漁獲(氷下待ち網漁)したことから。

夜行性で群れで動いている。12月後半~2月下旬に釣る事が可能である。

成魚は全長40cmほど。3つに分かれた背びれと2つに分かれた尻びれをもつタラの仲間だが、下あごより上あごが前に突き出ていて、下あごにあるひげが短いことでマダラスケトウダラと区別できる。地元では体長によってゴタッペ、コマイ、オオマイと呼び名が変わる。

黄海日本海オホーツク海ベーリング海を含む北太平洋に分布し、水深200mより浅い海に生息する。

主に北海道で漁獲され、干物魚肉練り製品の材料となる。干物にはやや小さめのものを用い、頭とワタだけ取った一匹丸ごとのものと、開いたものがある。一匹ものはかなり硬いのが通例で、歯が丈夫でない人はそのまま食すのは避けた方が無難。

この干物はそのまま酒肴として、または軽くあぶってマヨネーズ醤油七味唐辛子などをつけて食べる。また、金槌で叩いておくと食べやすいという。ただし匂いに少々癖がある。 一晩水に浸け、そのまま軽く沸騰させて(蓋は開けて干物臭を煮飛ばす)から焼けば、かなり食べやすくなる。水には出汁が出るので、みそ汁などに使う。

最近では、一夜干・生干にして食べやすくしたものも作られている。北海道のコンビニ(セイコーマート)では調味料と共にパックされ、販売されている。通販でも手に入る。干物は骨まで食べられるが、一夜干しは少し硬い。


この間、いつも酒を買う怪しい安売り屋で見つけて、ちょっと焼いて、料理バサミで細かく切って、しょうゆマヨネーズ&七味で食べるとかなりうまい。

上のウィキペディアでは水で戻すとか金槌でたたくとか、、、へぇそんな食べ方もあるのか。

気の毒なくらい安くで売っているので、酒が好きな方、アタリメなんかの乾き物が好きな方は是非食べてみてください。

今日、久々にmixiを見ていたら、以前一緒にスケートしていた中村兄弟の兄「とも」の日記が目に付いた。
彼ら兄弟は(上のともが今はもう高校生かな?)実はスケートでは、アグレッシブを始めたのもチームに所属した時期も同じという、言わば僕とは同期だが、ASAアマチュアファイナル(世界選手権)の激戦を制し兄弟揃ってワンツーフィニッシュで堂々のプロ入り、いまや安床とともに世界の第一線を担うライダーにまで成長した。
日記では中間テストで頑張っている様子、その結果ほぼ全教科でクラストップか2位とかいうレベル、そんな内容。
スケートではものすごい実力を持つ彼らだが、実は学校の成績も良い。
中村兄弟だけでなく、彼らの後輩ライダーのユースケやカンタも同じような感じらしい。
なにが言いたいのかといえば、結局のところ、彼らは「努力することに関して一流」だということだ。
マイナースポーツとはいえ、世界を舞台に戦うのは容易い事ではないのだ、彼らとそしてそれを支える人達(家族など)は彼らが小さいうちからその激戦を戦い続け、そして結果をだしているわけで。
これはもう努力以外のなにものでもないわけで。
その努力といったら恐らく、常人ではありえないレベルなんだと思う。
当然スケートでも、スケート以外でも結果を出している人達のなかにはそれ以上の努力をした方も大勢いらっしゃるとは思うけれど、僕はそれでも努力という点では彼ら(恥ずかしながら僕も含め)は劣らない努力をしてきたとはっきりと言える。
その環境にいたときは、それが当然だとおもったし何とも思わなかったが、外の世界に出てはじめてそれが特別だったことに気がつき、それが今の僕の自信につながっている。
僕もその環境の中にいさせてもらったおかげで好成績を残すこともできたし、今の自分はこの「努力」の上に立っているのは間違いない事だ。

さて、そんなわけで最も僕の人生に影響を与えた人物、その名は北村塁。
僕は彼に努力というものを学んだ。
僕がハーフパイプをはじめた頃、同じ時期に彼もハーフパイプをはじめ、一緒に頑張ってきた。
彼は僕の人生の中で誰よりも努力家で、その家族も一生懸命彼を支えていた。
僕は多くの素晴らしい人達と出会ったが、いまだに彼を越える努力家と出会ったことがない。
彼の努力する背中を見て、僕は始めて努力することを学んだのだ、そして僕の人生が開けた。
今では色々な人達に出会い、たまには認められもしながら色々な事業をお手伝いさせてもらったり、スケートスクールを運営したり、最近では落語をしてみたり、こうして面白おかしく生き生きと生きていられるのはこの「ルイ」と出会えたからだ。
彼と出会っていなければ、僕のスケート技術もなければ、それによって獲得した経歴もなく、あたりまえのように会社の悪口を言いながらなんとなく日々を浪費する、そんなつまらない人間だったかもしれない。

塁がどんな人間かというと
1997年インラインスケートを始める
1998年ハーフパイプを始める
2000年全日本選手権にて2位。わずか2年のキャリアで当時国内最強と言われた大坪徹と僅差の勝負をしたが敗れる。
2001年大坪徹を破り全日本チャンプに。
同年、ASAアマチュア世界選手権最終戦にて2位、堂々のワールドプロツアー参戦権を獲得。塁を僅差で破ったのはフランスの天才といわれたライダー、フェルナンデスだった。彼もまたプロ入り直後から世界の一線で活躍するライダーとなる。
2002年アジアンエックスゲームにて有名国際トップライダーである豪のサム・フォガティをやぶりヤストコに次ぐ3位に。世界最高峰(つまりオリンピックのようなもの)である米国エックスゲームの最終戦への参戦権を獲得。
同年、エックスゲーム最終戦でなみいる国際トップライダーを押しのけ堂々の4位に。
2003年突然の引退。インラインの歴史の影に埋もれ、知る人ぞ知る伝説となる。

とまあこんな凄い奴だったわけで。
そして彼は実は、世界第4位に君臨した当時、若干12歳だったのだ。
関係者の内ではいずれヤストコを倒すことができるんじゃないかとさえ言われていた。
彼の努力は常人とはるかに飛び抜けていたと先に書いたが、それについては色々なエピソードがある。
知る人ぞ知るエピソードのなかで有名なのが、彼が小学生でありながら部分入歯になっていた事。
転倒して顔を打ち、前歯が折れたとかそんなありふれたものではない。
競技会では大人も子供も関係ない。
体が小さく、パワーは圧倒的に劣る、さらに経験も少ない、時間も少ない中で誰よりも厳しい練習が必要だった彼は限界を超え毎日歯を食いしばり努力をし続けた。
そして彼の奥歯は食いしばり過ぎて朽ちてしまい、小学生にして「奥歯」が部分入歯になってしまったのだ。
僕は彼と共に毎日練習をして、たまに彼が涙を流す所を見たことがあった。
小学生が泣くというのも自然なことかもしれないが、彼はやはり違っていた。
小学生低学年の頃から彼は痛いとか辛いとか、そんなことでは泣いたりしなかった。
彼が泣くのは自分の設定した目標に到達出来ない自分や、恐怖に一歩を踏み出せない自分にたいして、自分の情けなさに悔しさで泣いていた。

何度も言うが、僕は色々な素晴らしい人と出会ったが、こんなにまっすぐに努力し続けた人間を見たことがない。
しかもそれを僕につたえた塁は小学生だったのだ。
彼に魂の真の強さというものを感じた。
僕には彼の存在は特別で衝撃的だった。
人間が希望と目標を持ち、それに向かって努力し達成する素晴らしさを証明してくれた。
僕の人生は彼によって目覚めたと言って過言ではない。
人間の価値は年齢や立場やいままでの経歴などにはまったく関係がないということを教えてくれた。

僕の人生において彼によって与えられた事はとても大きい。
僕は今でも、諦めそうになる場面やくじけそうになる時には「こんな時、塁ならどうする?」と自分に問いかけて一歩を踏み出すことができるのだ。

実はもう一人、僕の人生に大きな影響を与えた「古森隆一」という人がいますが、この人のについてはまたの機会で紹介することにします。

↓北村塁のエアー
北村塁のエアー
↓エックスゲーム本戦で走りきった塁
2002年X-GAMEファイナル決勝

関係リンク

http://www.skatelog.com/skaters/rui-kitamura/
http://expn.go.com/athletes/bios/KITAMURA_RUI.html
http://www.life.com/image/1091917

やはりアグレッシブインラインは恐怖を越えて一歩を踏み出す事、そして「努力」を知ることにとても効果のあるツールだと思います。





先日の笑生さんの独演会の打ち上げで、前回にもお世話になった某和菓子製造会社勤務の鈴木氏にまたお会いし、色々と教えてもらいました。
打ち上げに参加すると、鈴木さんや、はしこさんをはじめ色々な人と出会え、また新しい事を色々と教えていただけるのでとてもありがたい限りです。
鈴木さんは笑生さんの大学の先輩にあたる方で、年も笑生さんと近く一緒に落研でがんばっていたそうで。
さらにもっと上の先輩いわく、その頃は笑生さんよりもうまかったとか、そうじゃないとか。

鈴木さんは古典を今はほとんど聴かないそうで、古典を聴くのは笑生さんのを聞くくらいだとか。
で、新作専門の鈴木さん、近いうちにとある場所で1席するそうで
何をやるんですか?と聞いたら
「ぐつぐつ」をすると。
落語協会の噺家プロフィールの柳家小ゑん師匠のところで聞けるよと教えていただいたので、今日早速聴いてみました。
この「ぐつぐつ」、おでんのネタが話すという物。
どうもあの「おでんくん」のもとになった噺らしいですね。
そうなんです、おでんということで僕としてはすっごい気になるんですよね~
なにしろ噺家名「ちくわぶ」ですから。
聴いてみたら時間も11分ちょい、音だけでなく映像もある、しかもあわよくば鈴木さんに何かヒントを聞くこともできるかもしれない、、、
もし書類審査が通るような事になれば、決勝用の演目はこの「ぐつぐつ」がいいんじゃないだろうか、、
なんて事を考えたりしちゃったり。
ただ、ちくわぶがでてこないんだよな~残念だな~

M's Ramp Labにいってビールでも差し入れしてみよう、そのついでにちょっと自転車でもみてもらおうかと思っていたのですが、かなり雨が降っていたので結局いけませんでしたね〜。

そのかわり何をしていたかといえば、とりあえず、6月の講習スケジュールを発表してみました。
まだメールマガジンの原稿まで手が回っていないので、ホームページのみの公開となっていますが、密かに募集は開始していますので、希望者の方はどうぞ申し込みをよろしくお願いします。
今回は初のX-domeでの講習なので、その設定でだいぶ悩みましたが、とりあえずちょっと時間的にカツカツですが3講師×3コースで試しにやってみることにしました。
メールマガジンの発行、あとメールの送信ができていないので、お待ちの方は申し訳ないのですがもう少々おまちください。。。

で、メールの送信をせずになにをしていたかといえば、、
タイガー&ドラゴンを由美と全部みましたよ〜
いやあ、すごかった!!
クドカンほんと凄すぎです。
最後なんかはだいぶ泣けました〜
TSUTAYAでレンタルをするとき、5個以上借りると安くなる&期間が一週間にのびるんですね、このあいだそれに始めて気づき残りを全て借りておいたのです。
でそのあとはいつの間にかに寝てしまい、こんな時間に。。。。

感想も何もかなり浅い内容になってしまいましたが、取り合えず今日はご連絡ということで、、、
またメールやらは明日以降にとりかかりますのでご容赦願います。
ブログの更新もきがつけば二日開けてしまいましたし、また明日からは頑張っていこうと思っています。
どうぞ宜しく〜
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