もはや伝説のライダー「北村塁」[スケート関係]
(2009-06-02 12:33:36) by くろひつじ
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今日、久々にmixiを見ていたら、以前一緒にスケートしていた中村兄弟の兄「とも」の日記が目に付いた。
彼ら兄弟は(上のともが今はもう高校生かな?)実はスケートでは、アグレッシブを始めたのもチームに所属した時期も同じという、言わば僕とは同期だが、ASAアマチュアファイナル(世界選手権)の激戦を制し兄弟揃ってワンツーフィニッシュで堂々のプロ入り、いまや安床とともに世界の第一線を担うライダーにまで成長した。
日記では中間テストで頑張っている様子、その結果ほぼ全教科でクラストップか2位とかいうレベル、そんな内容。
スケートではものすごい実力を持つ彼らだが、実は学校の成績も良い。
中村兄弟だけでなく、彼らの後輩ライダーのユースケやカンタも同じような感じらしい。
なにが言いたいのかといえば、結局のところ、彼らは「努力することに関して一流」だということだ。
マイナースポーツとはいえ、世界を舞台に戦うのは容易い事ではないのだ、彼らとそしてそれを支える人達(家族など)は彼らが小さいうちからその激戦を戦い続け、そして結果をだしているわけで。
これはもう努力以外のなにものでもないわけで。
その努力といったら恐らく、常人ではありえないレベルなんだと思う。
当然スケートでも、スケート以外でも結果を出している人達のなかにはそれ以上の努力をした方も大勢いらっしゃるとは思うけれど、僕はそれでも努力という点では彼ら(恥ずかしながら僕も含め)は劣らない努力をしてきたとはっきりと言える。
その環境にいたときは、それが当然だとおもったし何とも思わなかったが、外の世界に出てはじめてそれが特別だったことに気がつき、それが今の僕の自信につながっている。
僕もその環境の中にいさせてもらったおかげで好成績を残すこともできたし、今の自分はこの「努力」の上に立っているのは間違いない事だ。
さて、そんなわけで最も僕の人生に影響を与えた人物、その名は北村塁。
僕は彼に努力というものを学んだ。
僕がハーフパイプをはじめた頃、同じ時期に彼もハーフパイプをはじめ、一緒に頑張ってきた。
彼は僕の人生の中で誰よりも努力家で、その家族も一生懸命彼を支えていた。
僕は多くの素晴らしい人達と出会ったが、いまだに彼を越える努力家と出会ったことがない。
彼の努力する背中を見て、僕は始めて努力することを学んだのだ、そして僕の人生が開けた。
今では色々な人達に出会い、たまには認められもしながら色々な事業をお手伝いさせてもらったり、スケートスクールを運営したり、最近では落語をしてみたり、こうして面白おかしく生き生きと生きていられるのはこの「ルイ」と出会えたからだ。
彼と出会っていなければ、僕のスケート技術もなければ、それによって獲得した経歴もなく、あたりまえのように会社の悪口を言いながらなんとなく日々を浪費する、そんなつまらない人間だったかもしれない。
塁がどんな人間かというと
1997年インラインスケートを始める
1998年ハーフパイプを始める
2000年全日本選手権にて2位。わずか2年のキャリアで当時国内最強と言われた大坪徹と僅差の勝負をしたが敗れる。
2001年大坪徹を破り全日本チャンプに。
同年、ASAアマチュア世界選手権最終戦にて2位、堂々のワールドプロツアー参戦権を獲得。塁を僅差で破ったのはフランスの天才といわれたライダー、フェルナンデスだった。彼もまたプロ入り直後から世界の一線で活躍するライダーとなる。
2002年アジアンエックスゲームにて有名国際トップライダーである豪のサム・フォガティをやぶりヤストコに次ぐ3位に。世界最高峰(つまりオリンピックのようなもの)である米国エックスゲームの最終戦への参戦権を獲得。
同年、エックスゲーム最終戦でなみいる国際トップライダーを押しのけ堂々の4位に。
2003年突然の引退。インラインの歴史の影に埋もれ、知る人ぞ知る伝説となる。
とまあこんな凄い奴だったわけで。
そして彼は実は、世界第4位に君臨した当時、若干12歳だったのだ。
関係者の内ではいずれヤストコを倒すことができるんじゃないかとさえ言われていた。
彼の努力は常人とはるかに飛び抜けていたと先に書いたが、それについては色々なエピソードがある。
知る人ぞ知るエピソードのなかで有名なのが、彼が小学生でありながら部分入歯になっていた事。
転倒して顔を打ち、前歯が折れたとかそんなありふれたものではない。
競技会では大人も子供も関係ない。
体が小さく、パワーは圧倒的に劣る、さらに経験も少ない、時間も少ない中で誰よりも厳しい練習が必要だった彼は限界を超え毎日歯を食いしばり努力をし続けた。
そして彼の奥歯は食いしばり過ぎて朽ちてしまい、小学生にして「奥歯」が部分入歯になってしまったのだ。
僕は彼と共に毎日練習をして、たまに彼が涙を流す所を見たことがあった。
小学生が泣くというのも自然なことかもしれないが、彼はやはり違っていた。
小学生低学年の頃から彼は痛いとか辛いとか、そんなことでは泣いたりしなかった。
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